人は須らく自ら省察すべし

佐藤一斎は、『言志録』で
人は須らく自ら省察すべし。と著わしている。

「天は何の故に我が身を生み出し、
我をして果たして何の用に供せしむる。
我すでに天物なれば、必ず天役あり。
天役共せずんば、天の咎必ず至らん」と。
省察して此に到れば、則ち我が身の荀生すべがらざるを知る。」

(人は真剣に考える必要がある。「天はなぜ自分をこの世に生み出し、
何の用をさせようとするのか。自分はすでに天の生じたものである
から。必ず天から命じられた役目がある。その役目をつつしんで果
たさなければ、必ず天罰を受けるだろう」と。)

一つは、与えられた環境の中で不平不満を言わず、最善の努力をする。
一道を拓いた人たちに共通した第一の資質である。安岡正篤師の『経世瑣言』で「いかに忘れるか、何を忘れるかの修養は非常に好ましいものだ」と説く。現在自分が置かれているところから将来に向かって人生を切り拓いていく。
二つは、「他責」の人ではなく「自責」の人であること
幸田露伴が『努力論』の中でこう指摘している。大きな成功を遂げた人は失敗を自分のせいにし、失敗者は失敗を人や運命のせいに
する、その態度の差は人生の大きな差となって現れてくる、と。古今東西、不変の鉄則である。
三つは、燃える情熱を持っていること
当時八十六歳だった明治の実業人浅野総一郎氏が五十代だった新潮の創業者佐藤義亮氏に語った言葉が滋味深い。心耳を澄ませたい。
「大抵の人は正月になると、また一つ年を取ってしまったと恐がる が、私は年なんか忘れている。そんなことを問題にするから早く年 をとって老いぼれてしまう。世の中は一生勉強してゆく教場であっ
て、毎年毎年、1階ずつ進んでゆくのだ。年を取るのは勉強の功を 積むことに外ならない。毎日毎日が真剣勝負。真剣勝負の心構えで いる人にして初めて、毎日のように新しいことを教えてもらえる。
私にとって、この人生学の教場を卒業するのはまず百歳と腹に決 めている。昔から男の盛りは八十という。あなたは五十代だそ うだが、五十など青年。大いにおやりになるんですな」
三本の柱が立って物は安定する。人生を安定させる三つの柱を忘 れぬ生き方を心掛けたい。

(雑誌  致知より)

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