一刹那正念場

 

一刹那正念場

「一瞬一瞬を人生の最も大事なところ、人生の勝負どころ、本番と捉えて真剣に生きよ」。

人生は山登りに譬えられる。山登りには登る人と下りる人がいる。それは年齢ではない。「90%の人は山を下りている。90%の人は力を出し切っていないからだ。人生の山を登っている人は10%」と言うのは人材教育家の井垣利英さん。

なるほど、そういえば、明治期の偉人たちは、「自分一日怠ければ、日本の進歩が一日遅れる」といった気概を持って生きていた。当時の日本には山を登っている人が多かった、ということである。だから日本は日清・日露の戦いに勝利し、世界に伍していくことができたのだといえる。

井垣さんはこうも言う。「一時間は1分が60回。1日は1時間が24回。1月は1日が30回。1年は1月が12回。10年は1年が10回」。10年後どんな自分になっているか。何となくいまよりもよくなっている、と思っている人が多い。しかし、いまの生き方がそのまま10年後のその人の生き方であり、年を取った分だけ人生は下り坂になっている。そうならないためには、いま目の前にあることに全力を尽くすこと、その姿勢を習慣にすること」井垣さんの言葉は一刹那正念場に生きる大事さを説いてあまりある。

一道を極めた人は皆、一刹那正念場を体現して生きた人である。

詩人の坂村真民さんにこういう一文がある。

三万六千五百朝(棟方志功)

なんといういい言葉だろうか。百年生きたって僅か三万六千五百朝だ。一朝だってムダにしてはならないんだと。 百年生きたって三万六千五百朝しかない。はやるような思いで棟方志功は研鑚したのだろう。そして、坂村真民さんもその言葉に深く共感し、この一文を刻んだのだろう。画壇の孤峰・中川一政さんもまた、一刹那正念場を生きた人であった。

中川さんが九十七歳の時に揮毫した「正念場」の書がある。九十七歳にしてなお正念場の日々を生きようとしているのか。九十七歳になってこれからが本当の人生の正念場だと思っているのか。求道一筋に生きんとする人の気迫が、書には溢れていた。

中川さんが残された極めつけの言葉を二つ。

「稽古をしてはならぬ。いつも真剣勝負をしなければならぬ」

「一つ山を登れば、彼方にまた大きな山が控えている。それをまた登ろうとする。力つきるまで」

すべての道に生きる者に不可欠の覚悟というべきだろう。

(雑誌 致知より)

 

人は須らく自ら省察すべし

佐藤一斎は、『言志録』で
人は須らく自ら省察すべし。と著わしている。

「天は何の故に我が身を生み出し、
我をして果たして何の用に供せしむる。
我すでに天物なれば、必ず天役あり。
天役共せずんば、天の咎必ず至らん」と。
省察して此に到れば、則ち我が身の荀生すべがらざるを知る。」

(人は真剣に考える必要がある。「天はなぜ自分をこの世に生み出し、
何の用をさせようとするのか。自分はすでに天の生じたものである
から。必ず天から命じられた役目がある。その役目をつつしんで果
たさなければ、必ず天罰を受けるだろう」と。)

一つは、与えられた環境の中で不平不満を言わず、最善の努力をする。
一道を拓いた人たちに共通した第一の資質である。安岡正篤師の『経世瑣言』で「いかに忘れるか、何を忘れるかの修養は非常に好ましいものだ」と説く。現在自分が置かれているところから将来に向かって人生を切り拓いていく。
二つは、「他責」の人ではなく「自責」の人であること
幸田露伴が『努力論』の中でこう指摘している。大きな成功を遂げた人は失敗を自分のせいにし、失敗者は失敗を人や運命のせいに
する、その態度の差は人生の大きな差となって現れてくる、と。古今東西、不変の鉄則である。
三つは、燃える情熱を持っていること
当時八十六歳だった明治の実業人浅野総一郎氏が五十代だった新潮の創業者佐藤義亮氏に語った言葉が滋味深い。心耳を澄ませたい。
「大抵の人は正月になると、また一つ年を取ってしまったと恐がる が、私は年なんか忘れている。そんなことを問題にするから早く年 をとって老いぼれてしまう。世の中は一生勉強してゆく教場であっ
て、毎年毎年、1階ずつ進んでゆくのだ。年を取るのは勉強の功を 積むことに外ならない。毎日毎日が真剣勝負。真剣勝負の心構えで いる人にして初めて、毎日のように新しいことを教えてもらえる。
私にとって、この人生学の教場を卒業するのはまず百歳と腹に決 めている。昔から男の盛りは八十という。あなたは五十代だそ うだが、五十など青年。大いにおやりになるんですな」
三本の柱が立って物は安定する。人生を安定させる三つの柱を忘 れぬ生き方を心掛けたい。

(雑誌  致知より)