新渡戸 稲造
十年ほど前、ベルギーの高名な法学者、故ド・ラブレー氏のもてなしを受けお宅に数日滞在したことがある、その際、二人で散歩していて。会話が宗教の話題に及んだ。日本の学校では宗教教育がない、ということですか」と、尊敬する老教授は尋ねた。私がそうですと答えると、教授は驚いて足を止め、容易には忘れ難い口調で、「宗教がない!道徳教育はどうやって授けられるのですか」とくり返した。 その時、この質問は私をびっくりさせた、そして即答できなかった。というのも。私が少年時代に学んだ道徳上の戒めは、学校で教わったものではなかったからである。私は、自分の正邪善悪の観念を形づくるさまざまな要素を分析してみて、それらの観念を私に吹き込んだのは「武士道」であったとようやく気づいた。この小著を書く、直接の発端は、私の妻がしばしば、なぜ日本ではこれこれの考え方や習慣が一般的なのですか、と質問したことにある。ド・ラブレー氏と妻とに満足のゆく答えをしようと努めているうちに、私は、封建制と武士道とがわからなくては、現代日本の道徳思想は封印された書物と同じだと気づいた。(初版への序より)
新渡戸稲造が英文で『武士道』を刊行したのはちょうど1900年、明治33年、日清戦争と日露戦争のあいだにあたっている。新渡戸先生は、 『武士道(Bushido)』 という本を、英語で書きました。
「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」 という書き出しで始まり、 当時、未開の野蛮国と見られていた日本にも、 武士道という優れた精神があることを、世界の人々に紹介しました。
やがて、ドイツ語、フランス語、 ロシア語など、多くの国語に訳され 新渡戸の名は一躍、世界の知識人に知れ渡りました。
武士道の光り輝く最高の支柱である「義」、人の上に立つための「仁」、試練に耐えるための「名誉」など人生の指針として至玉の輝きを持つ思想が語れている。