居合斬道とは

斬れる居合を学ぶべし

居合は、敵との間合の習得、敵の変化への対応については剣道に及ばない。
したがって、居合で敵との間合を考えながら敵を仮想して斬るということは、至難といえる。そこで、仮想敵を実在させれば、想定される業における間合を、瞬時にして把握し、対応できる能力を養成することができる。
 この仮想敵を実在させた’居合斬りは、斬れる剣を磨くにあたって、必須の修行と言える。竹刀ではとうてい修得することのできない実戦剣技といえる。
 『兵術要訓』によると、
『当時『しない』を以てする畠水練者が多かった。しないは、打たれても、突かれても、深傷を受けることがない。故に、心のできていない肉身の兵術者でも、才覚を以て勝つこともある。しかし、真剣勝負では、この肉身の才覚では勝つことができない。この臆病な兵術者が、しない勝負で勝って、自分は達人と思う。大いなる誤りである。』
剣道は勿論、居合道においても、真に斬れる剣道、斬れる居合を修練し、体得されている剣士が幾何であろうか。然るに、斬れる剣、斬る剣を侮り、あざ笑う剣士が意外に多い。
即ち、『居合は剣を持った踊りであり、試し斬りは大道芸人のすることである』
と。誠に愚かなことといわざるを得ない。

心・剣・体の一致
1 
気合い、気力の充実
 演 武の前日に深酒や夜更かししたり、風邪などにより体調を崩すと、気魄・気力が充実せず斬れ味が悪い。人目にはすばらしいと見えても、自分自身では納得できないはずである。精神を集中し心身に気力充溢し、敵を呑み、一撃のもとに敵を倒す気勢を持つことが肝要である。
気位を備えよ
 多年の修練により、目前の霧が自然に、徐々に晴れて、かつ然とするが如く、技、精妙に至れば、自ら自信が生れ、犯し難い威力と気品が備わり、全身からにじみ出て、敵は恐れ、自らは泰然として胆据わり、好ましい結果を生むこととなろう。
2 手の内は基本である
 手の内が悪いければ刃筋は通らない。居合斬りでは正直にその結果が出る。
3 物打ちで斬れ
 日常の榴古でも、常に物打ちで斬る修練が大切である。
4 足至り、体至り、剣至る
 大地に根が生えたように、まず両足の踏ん張りを確保し、その上に腰が安定し、然る後に強靭な足腰の確固たる体勢のもとに剣を使うことを原則とする。

 無念無想で斬れ

絶対に斬れるという自身を持って斬ること。疑念、妄思、疑心暗鬼を生じた時は、よい結果は得られない。

常に敵を斬る心構え

 居合道の稽古のみで標敵を斬らない場合でも、常に敵を仮想しながら、一刀のもとに斬り倒す気概をもって、稽古にはげむこと。

真剣で稽古せよ

 居合道では、特別の事由がない限り、最初から真剣での稽古が望ましい。昨今、「初心者は模擬刀でもよい」として、安易に稽古を勧める指導者を見受けるが、経済的な面もありやむを得ないとは思われるものの、なるべく早い時期に真剣に切り替えることを勧めるべきであろう。
真剣の稽古では、敵を斬る心構えが醸成され易く、然も高度な精神集中が極度に要求されるため、その修練の成果は、模擬刀に比較し、はるかに高く評価される

試し斬りに熟達すること


居合道では「常に敵を斬る心構えで稽古せよ」と述ぺたが、勿論これのみで万全とはいえない。居合道の修練と併せて、各種試し斬りに熟達することが肝要である。
 古武道書に「車の両輪、鳥の両翼の如し」という言葉がある。勿論これは「文武両道」を説かれたものであるがここでも当てはまる言葉でもある。即ち、居合道と各種試し斬りは車の両輪であり、鳥の両翼である。
何れか片方が備わらなければ、車はその用を為さず、鳥は飛べない。例え居合道が名人、達人と言われても、各種試し斬りが疎かで下手であれば、その居合は「斬れる居合」とは程遠く、またその逆に、各種試し斬りにのみ専念し、その奥義を極めたとしても、居合道が下手であれば、嘗て明治九年の廃藩置県により禄に離れた武士の試し斬りで、「大道芸」のそしりを免れないであろう。
 居合道の修練と共に、各種賦し斬りを実戦的に修練し、両道相まって熟達することにより、真に斬れる居合が自ら体得できるものである。
 即ち、無双流居合斬道の真価は、ここにあることを強調しておきたい。