居合道の起源

居合道の起源

奥州の住人『浅野民治丸』が、親の仇討ちのため、山形県楯岡の林崎明神に祈願し、抜刀術の妙を悟った。 元服して『神夢想林崎流』と称し村名を姓にとりいれて『林崎甚助重信』と改め、 永禄2年(1559年)仇討ちの旅に出る。

永禄4年(1561年)京で見事に仇を討ち帰郷。母に孝養を尽くせども母病に死す。

永禄5年(1562年)飄然孤剣を抱いて剣の旅に赴く。

以上『居合神社霊験記・居合神社記』による。

その後諸国を巡り多くの剣道家と試合をして、 一度も敗れたことがなかったと言われている。

二代目の名手田村兵衛業正は、徳川家康、秀忠、家光の三代にわたって居合術を教えたとされ、 その後40余流に分派し現代に至っている、と言われている。

流派名等については諸説があるが、いずれも年代・根拠に乏しく『林崎甚助源重信公資料研究委員会』編の上記書籍で、 詳細に記述発表されている内容が最も信頼される文献である。